
It’s not about trying to think, nor is it about suppressing thoughts by not wanting to think.
「考えようとして考えるのでもなく、考えまいとして考えを抑えるのでもない 心のはたらき」
「非思量(ひしりょう)」とは、曹洞宗の開祖である道元禅師が『普勧座禅儀(ふかんざぜんぎ)』などで示した、坐禅における真の心の状態(悟りの境地)を表す言葉です。
善悪や損得、過去や未来といった「人間のあれこれ頭でひねり出す考え」を一切手放した、思量を越えた純粋な意識のあり方を指します。
「非思量」が生まれる3つの段階
道元禅師は、坐禅中の心の状態を 思量・不思量・非思量 の3段階で説明しています。
1.思量(しりょう)
- 意味:
頭の中で次々と湧き上がる考えや雑念のこと。 - 状態:
「お腹が空いた」「昨日の失敗」「早く坐禅が終わらないか」など、意識があちこちに動いている状態です。
2.不思量(ふしりょう)
- 意味:
雑念を打ち消そう、何も考えまいと「念を止める」こと。 - 状態:
「考えるのをやめよう」と力む状態です。一見静かですが、実は「考えないようにする」という強力な意識(意志)が働いており、まだ「思量」の対立軸にとらわれています。
3.非思量(ひしりょう)
- 意味:
思うこと(思量)も、思わないこと(不思量)も、どちらの対立も超越した境地。 - 状態:
浮かんでくる雑念を力ずくで消そうともせず、追うこともせず、ただ「浮かんでは消える雲のように、そのままにしておく」状態です。
どうやって「非思量」に至るのか?
道元禅師は「非思量」に至る方法を問われた際、「不思量を思量せよ(思量を絶した状態を、ただただ全身で体現しなさい)」と答えています。
これは、頭で「非思量になろう」と理屈をこねるのではなく、正しい姿勢と呼吸を整えてただ坐る(只管打坐)ことによってのみ、自然と立ち現れるものとされています。
- 思量:
雑念にとらわれている(有の立場) - 不思量:
雑念をなくそうと争っている(無の立場) - 非思量:
雑念があってもなくても、ただ「今ここ」の自分として坐っている(有無を超えた立場)
言葉や論理による理解を超えて、湧き上がる想念の波に巻き込まれず、ただ景色として通り過ぎさせる心の静けさこそが「非思量」です。
