
That’s all
「只管打坐(しかんたざ)」は、「余計な目的や雑念をすべて捨てて、ただひたすら座る」。主に曹洞宗(道元禅師の教え)で根幹とされる言葉です。
1. 「何かのため」に座るのではない
私たちは普段、「心を落ち着かせるため」「ストレスを解消するため」「悟りを開くため」といった目的(見返り)を持って行動しがちです。
しかし、只管打坐ではそうした目的すら手放します。
- 只管(しかん): 「ひたすら」「ただ一筋に」
- 打坐(たざ): 「座る」
「悟りたい」「良く思われたい」という欲(計算)を持って座るのではなく、「ただ座る行為そのもの」になりきること。目的と手段が一つになった状態を目指します。
2. 「座っている姿」そのものが仏の姿(修証一等)
道元禅師は「修証一等(しゅしょういっとう)」と説きました。 修行(座ること)と証(悟り)は別々のものではなく、同じひとつのものだという考え方です。
「悟るために修行する」のではなく、雑念を手放して静かに座っているその姿・瞬間こそが、すでに「仏(悟りの状態)」そのものであると捉えます。
3. 雑念が湧いても「ただ放っておく」
座っていると、必ず頭の中に「今日の晩ご飯は何にしよう」「あの人の言葉が腹立つ」といった雑念(思考のノイズ)が浮かんできます。
只管打坐では、その雑念を消そうと格闘することもせず、逆に追いかけることもせず、「あぁ、浮かんできたな」とただ通り過ぎるのを放置します。
まとめ
「何かを得ようとする計算をすべて捨て、ただ『いま、ここ』に座りきる」
言葉を超えた禅の智慧が、ただ「座る」という極限まで削ぎ落とされた動作に集約されているのです。
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