衆生本来仏なり

もみじと金魚 イラスト

『衆生本来仏なり(しゅじょうほんらいほとけなり)』

この言葉は、白隠禅師の『坐禅和讃』の冒頭を飾る、禅の人間観を象徴するフレーズです。

白隠禅師は「水と氷のごとくにて、水を離れて氷なく、衆生の外に仏なし」と続けました。

  • 衆生(私たち):悩みや怒りでガチガチに固まった「氷」の状態。
  • 仏:自由で清らかな「水」の状態。
  • 氷は冷たくて硬いですが、その成分は100%「水」です。私たちも、その中身(本質)は最初から仏と同じ「清らかな水」であるということです。

普通、何かを目指すときは「立派な人になろう」と知識や徳を積み上げよう(プラス)とします。しかし、この言葉は逆を説いています。

  • 私たちは本来ピカピカの「鏡」ですが、生きていくうちに「欲」や「不安」という泥(汚れ)がつきます。
  • 仏とは、どこか遠くから連れてくるものではありません。自分を覆っている余計な荷物(汚れ)を洗い流したとき、勝手に現れる本来の姿のことです。

この言葉が最も力強いのは、「あなたの命の根っこは最初から合格点(仏)である」と言い切っている点です。

  • 状況がどれほど「泥」であっても、その人の内側にある「命の輝き(仏性)」は1ミリも損なわれません。「自分はもともと仏なのだ」と知ることは、究極の自己信頼へとつながります。

「自分はもともと完璧な成分(仏性)を持っている」と分れば、日々の失敗や悩みも、ただの「氷のデコボコ」のように思えてくるかもしれません。