江戸の七福神 二つの「最古」

繭玉かざり イラスト

江戸の歴史上、七福神に関して二つの「最古」が存在しています。

谷中七福神は「江戸で最も古い」、元祖山手七福神は「七福神巡りの元祖」と言われています。これは、「何を基準に『最初』とするか」という定義の違いによるものです。

谷中七福神が「江戸最古」を名乗るのは、個々の神様を巡る信仰の形が江戸時代中期(宝暦年間・1750年代頃)には既に確立されていたという歴史に基づいています。

江戸時代、谷中の各寺院にはすでに有名な恵比寿や大黒天が祀られており、人々がそれらを順に巡る習慣が自然発生的に始まっていました。

「江戸八百八町」の中で、最も早くから庶民に親しまれた巡礼ルートとしての実績があるため、「江戸最古」と称されます。

一方で、目黒・白金エリアの「元祖山手七福神」が「江戸で初めて」とされるのは、「七福神をセットにして参拝する」という形式を明確に打ち出した点にあります。

江戸時代後期の文化・文政期(1800年代初頭)、当時の風流人や文化人たちが「これら7つの寺社をセットにして巡ろう」と明文化・システム化したのがここだとされています。

いわば、「個別に巡っていたものを、一つのコースとしてプロデュースした元祖」という意味合いが強いです。

「自然発生的に古くからあったのは谷中」、「コースとして名前が売れ出したのが山手」という解釈が一般的です。

どちらも江戸時代の「七福神ブーム」を支えた二大巨頭であることに変わりはありません。谷中は下町の風情、山手は目黒の不動尊などの力強い寺社という、それぞれの魅力があります。