言葉になる前のもの/言葉にできないもの

 まず、「言葉とは何か」

言葉は、人が“世界や心を分かろうとするための道具”です。

もう少し丁寧に見ると、いくつかの側面があります。

私たちは、

  • 悲しい
  • 嬉しい

と名前をつけることで、世界を認識しています。

もし言葉がなかったら、ただ「何かがある」という曖昧な感覚のままになります。
つまり言葉は、カオスな世界を、切り分けて認識できるようにするものです。

もうひとつ大きいのは、内側にあるものを外に伝える手段です。

  • 思っていること
  • 感じていること
  • 考えていること

これらはそのままでは他人に見えません。
だから言葉を使って、見えないものを、共有可能な形にする

言葉は便利ですが、体験そのものを、そのまま運ぶことはできない

たとえば

  • 「さみしい」と言っても、その深さや質は人それぞれ
  • 「きれい」と言っても、見えている風景は共有できない

つまり言葉は、近づけるけれど、一致はしない

言葉はただ説明するだけでなく、私たちの感じ方や世界の見え方を形づくる面もあります。

たとえば

  • 「失敗」と言うか「経験」と言うかで意味が変わる
  • 「問題」と呼ぶか「課題」と呼ぶかで向き合い方が変わる

つまり、言葉は現実を切り取るだけでなく、方向づけもする

 言葉になる前のもの/言葉にできないもの

「言葉になる前のもの」はこういう状態です:

感じているし、ある程度わかっているけど、まだ言葉にしていない状態

たとえば:

  • 「なんかモヤっとしてるな」
  • 「この感じ、うまく言えないけどある」

“体験としてははっきりしている”けど、言語化されていない
まだ言葉にしていない(これから言葉にできる可能性がある)

「言葉にできないもの」は少し違います:

言葉にしようとすると、こぼれてしまうもの

です。

ここが大事で、

分からないわけではない

むしろ、

  • 分かっている
  • 感じている
  • でも言葉にするとズレる

という状態
言葉にしようとすると、どうしても足りなくなる

たとえば、

  • 大切な人への気持ち
  • 深い感謝
  • 別れや喪失
  • どうしようもない想い

こういうものは、

  • 「好き」
  • 「ありがとう」
  • 「悲しい」

と言えるけれど、

それだけでは全然足りない

だから、

「言葉にできない」

小田和正さんの「言葉にできない」という曲は、まさに「言葉にできない」を表現している曲だと言えます。

禅はよくこういう方向を示します。

言葉で説明しようとすると本質はそこからこぼれる

なので、あえて単純な言葉や沈黙で示す

小田和正さんのあの表現は、

たくさん説明する代わりに『言葉にできない』と言う

ことで、かえって本質に近づけている

「言葉にできない」と言葉にしている…

この矛盾自体が、人間の言葉の限界と豊かさを表しているとも言えます。